前にも書いたかもしれないのですが、以前アルザスで通訳兼ドライバーをお願いしている方に、「なぜ日本にはある程度(価格が)高いアルザスワインばかり輸入されるのでしょうか。」と聞かれたことがあります。
その時は、未だにブランド嗜好(有名な造り手であるとか、グラン・クリュであるとか)が根強い傾向にある、または、ワインを楽しむのがある程度裕福な人達なので、とすると、どうせ買うならより美味しいものを買いたい→高いワイン、グラン・クリュなどが美味しいだろうからそれを買おう、という図式があるのかもしれない、ということ。そして、ワインを良い状態で日本に輸入するにはやはりある程度のお金がかかるので、そうすると、地元で気軽に楽しまれているような日常ワインがいかに地元であれば安く美味しいワインだとしても、日本に来た段階で割安感は薄れてしまうため、いわゆる売るのが難しい価格帯になってしまうから、ではないでしょうか、なんて話をしていたわけです。
しかし最近またそのあたりのことについて自分なりに考えるのですが、
「そもそも日本においてワインを本当に日常的に楽しむ人は、まだまだごく僅かなんではないか。」と。
それはワインを好きと自認しているしている人を含めても、です。
自宅での夕食の際に、さて、どのワインを開けようかとセラーを覗きこみながらよく思うのは、「このワインもこっちのワインも、美味しいけど、しかし今晩の料理には強すぎる」もしくは「これは今日の夕食に開けるにはちょっともったいないかも。。」
また日々の生活の中にはこんな日もあるわけです
「今日の疲れた気分に寄り添ってくれるような穏やかなワインを求ム。。」
結局、なんでもない日常に開けるワインというのは、優しく軽やかな味わいが多くなるような。。。って私がパワー不足なだけかもしれませんが。
疲れている時こそ、パワーあるワインをって方もいらっしゃいますしね。
結局のところ、日常において重宝するのは、気軽に開けることが出来る価格帯で、しかもきちんと丁寧に造られたある意味上質なワインではないでしょうか。お金に糸目を付けないで済むような方でない限り。
産地やスタイルがかたよることなく様々なタイプが揃い、
色々な食事に対応できる、そんなワインが詰まったセラーが、日々ワインと暮らすワイン好きには本来必要になるはずではないでしょうか。
特別な日にしか開けられないようなワインや、あと何年も待たなければ開けられないようなワインばかり詰まったセラーではなく。
しかしこうとも言えます。
日本ですから、日本酒や焼酎も豊富です。
日々、日本酒や焼酎も楽しむ人であればまた状況は変わるでしょう。
和食には日本酒や焼酎を、洋食の時にワインを、とするのであれば、
そこまで必要なワインの種類がバリエーションに富む必要はなくなるのかもしれません。
日本では地方によって日本酒や焼酎が普通に日常の食卓に並ぶ、
それが当たり前、というところが多くあると思います。
(もちろん都内でも家庭によってはあるかもしれません)
そしてそれはワインが日常食卓に当たり前のように並ぶ家より圧倒的に多いのではないでしょうか。
そしてその場合、おそらく多くの皆さん、毎日大吟醸とか、毎日レアな焼酎とかを飲まれているわけではないのではないか、と。
ワインも同じように、あるのが当たり前、と日常の飲み物になった時に、グラン・クリュやプルミエ・クリュ、格付けワインやカルトワインだけでないワインが必要になるのではないでしょうか。
ちなみに写真は内容と全く関係ないのですが、
コルマール近郊にあるアルザス・ワイン協会の広場にあった、昔ながらのワイン圧搾機です。なんだか戦車かなにかのようないかめしさですが。
ここでは気前の良いスタッフのムッシューが色々とプレゼントしてくれました。グラン・クリュのしおりや、アルザス・ワインについての冊子、アルザス・ワイン協会のボールペン。。。
時はちょうどパリでのテロ直後。「どうせ戦争になったら敵に全部持っていかれるんだから、それなら好きな人にあげた方がいいよ!」辛辣なジョークでも有り、しかし、過去にフランスとドイツをいったりきたりしたアルザスならではの重い言葉でもあります。
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